日野 コンテッサ



・コンテッサ

1961年、それまでルノー4CVのノックダウンで得られたノウハウを活かし、初めての(そして最後の)純日野製乗用車としてデビュー。
初代は900ccだったが、1964年により洗練された「1300」をラインナップ。翌’65年には流麗な1300クーペが登場。ジョバンニ・ミケロッティデザインのクーペは特に海外で高い評価を得、国際コンクール・エレガンスで3年連続の大賞を獲得した。
1966年トヨタとの業務提携したことにより、’69年に生産停止。当時トヨタでは好評だったコンテッサをトヨタブランドで継続することも提案したが、日野側が突っぱねたといわれる。日野の誇りが、大事な娘を他所へやりたくない、と拒ませたのであろう。
ちなみにコンテッサとは、イタリア語で「伯爵夫人」のことである。




コンテッサ900

ほとんどクルマが見えません。どうもスイマセン。これはJAF-CON(モケーの部屋チェイサーの頁参照)のパンフレット用に投稿したもので、バッジのシャレが描きたかっただけなのだが、日野のクルマのイラストが手持ちにはこれっきりだったため、無理やり登場してもらったのだ。





コンテッサ1300クーペL “ピート・ブロック・レーシング”

サイト開設1/2周年記念イラスト。時節柄(?)、「チーム・サムライ」ということで侍繋がり。

イラスト自体は1966年、全米各地のレース場を転戦していた「チーム・サムライ」コンテッサクーペを模したもの。実際の出場車両はフロントパネルにでかでかとゼッケンナンバーが書かれている。普通のクルマならボンネットに書くところだが…
クーペ『L』は『ライトウェイト』の意味で、レースのためだけに軽量鉄板を用いて組まれたスペシャルモデル。フェアレディのZ432“R”と同じ。
ピート・ブロックはダットサン510や240Zでの活躍があまりにも有名だが、その数年前には日野とタッグを組んでレース活動を行っていた。

バックに書かれた二句は、実際のレース車両のリヤフェンダーに書かれていた唄。当時の日野の副社長が渡米した折にその場で思いついて詠んだものらしい。
(トップ絵として使っていたときの「青い目の大和魂ここにありコンテッサにして勇走するわれは」は、これより前の初代コンテッサレーシングに書かれていたもの。今回改めて資料をあたったら、2台のクーペそれぞれに書かれたものがわかったので差し替えました。)




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